平塚七夕祭

56回 平塚七夕祭

 

平塚七夕祭は昭和26年7月に第1回が開催され、2006年で56回目になる。平塚には海軍火薬廠があったことから、昭和20年7月のB29による大空襲でほとんど焼け野原となった。この時に投下された焼夷弾は1200トンと言われている。しかし、戦後の復興はめざましく、その中で開催されたのが七夕祭である。

西隣の大磯、東隣の茅ヶ崎は、いずれも別荘地として有名だったが、それらに挟まれた平塚は農業と漁業を主とする無名の街だった。平塚の名を広く全国に知ってもらいたいという願いも、七夕祭に込められていた。2006年の期間中には300万人の人出を誇る、日本有数の祭となった。

平塚七夕祭は、仙台、一宮と並んで日本3大七夕祭と言われる。

他の地域では主に8月(旧暦7月)に開催されるが、平塚では7月である。7月初旬は農家の仕事が一段落する時期であり、昭和25年7月に「復興まつり」が開催されたのが始まりである。

地元商店街にとって頭痛の種は、全国から集まってくる「屋台」の多さである。8月の開催ならば、屋台は各地の七夕祭に分散するが、7月では平塚に集中する。実際のところ、各商店が七夕祭に掛ける費用は大変なものらしいが、見物客が使うお金の殆どは屋台に持っていかれてしまう。

だいぶ昔のことになるが、2年間ほど8月に開催したことがあった。この時には、たしかに屋台が少なかった。しかし、結局また7月7日近傍の数日間に戻っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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