Kuala Lumpur (KL)

It’s my second hometown.

マレーシアの首都クアラルンプールは、略してKLと呼ばれる。Kualaとは川の合流点を意味し、Lumpurは泥を意味する。地名の由来どおり、KLなどマレー半島西岸には泥で濁った河川が流れ込み、海岸はトロピカルな青い海とは程遠い景観だ。

1980年代から市内には高層建築が立ち並び、道路やホテルが整備された文化都市として発展した。首都と言ってもKL中心部は狭い範囲にまとまっていて、1時間も歩けば大抵のところには行き着ける。90年代のタクシーは格安で、昼間の市内ならばメーター料金でRM1.0~2.0(35円~70円)だった。

市内で最初に発展したのはChina TownやCentral Marketのある旧市街だが、後年は伊勢丹が入っているLOT 10周辺のBukit Bintang (ブギビンタン:星の丘)界隈がKL繁華街の中心として栄えた。

Jalan Sultan Ismail (スルタン・イスマイル通り)とJalan Bukit Bintang (ビギビンタン通り)の交差点付近は、KL近郊から訪れる若者や観光客で深夜まで雑踏が絶えることはない。スンガイワンプラザ、KLプラザ、LOT10など従来からの大型ショッピングモールに加え、1995年にはスターヒルという新規大型モールが開業した。この辺りは治安がよく、観光客でも安全な場所であることから、外国人の姿も多く見受けられる。

周辺にはパークロイアル、イスタナ、リージェント、KLヒルトン、シャングリラ、エクアトリアル、コンコルドなど高級ホテルや老舗ホテルが並び、高級ブランド店、民芸品店、有名レストランなどが軒を連ねている。

ここに掲載した画像は、往時のKLを知る人たちにとっては懐かしい風景だと思う。現在は道路の上にモノレールが走っているので、景観がずいぶん違ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

現在は廃止されているが、当時はピンク色のBUS MINIが町中を走り回っていた。バスミニは運転が荒っぽいので知られていて、乗り降りの際など急停車や急発進は当たり前、割り込み運転やバスミニ同士での追い越し競争が後を絶たず、乗客の怪我や交通事故の悪因となっていた。

バスミニの運転がこのように荒かったのは、運転手と車掌の給与体系に由来している。彼らは固定給ではなく、売り上げに比例した賃金になっていた。そのため、前を走るバスを追い越せばより多くの乗客を獲得でき、売り上げが伸びるために、どうしても先を急ぐ運転になってしまう。

タクシーの場合は、この出来高システムがより徹底していた(現在でもそうだと思うが)。運転手は車をタクシー会社から借り受け、会社へ賃貸料を支払う。車の整備費を含め、燃料費など運行に必要な諸経費はすべて運転手の負担である。従って、稼ぎが悪いと赤字になってしまう。その代わり、稼働率を上げれば儲けが大きくなる仕組みである。

管理者の目が届かない場所での業務であるから、合理的と言えば言える企業システムだが、安全確保の視点からはいまひとつだ。

KLにはYaohan、Jusco、Isetan、Sogo(後に撤退)など日系スーパーやデパートが進出していて、在住邦人に海外生活の不自由さを感じさせることはなかった。1990年代初め頃はカップ麺の値段が日本の1.5倍したが、やがて東南アジアでの生産が始まると日本よりも安くなった。味噌、醤油など日本からの輸入品は、日本よりもだいぶ割高につく。マレーシアは物価が安いと言われるが、それは現地製の物品に関してであって、日本製を買えば当然日本よりも高い価格になってしまう。醤油は中国製の安価なSoya Sauceがあって、中華料理にはよく合うが、日本料理にはやはり日本の醤油が欲しくなる。いくら現地に溶け込んだ生活を目指しても、目の前に日本の物が売られていれば、やはり懐かしい味に惹きつけられてしまう。

日本食レストランは、当時でもKL市内だけで100軒以上あると言われていて、すでに過当競争の様相を呈していた。高級日本料理店、何となく日本料理店、日本人会レストランなど、日本の食事や宴会場に困ることはなかった。ただ、食材の一部を日本から輸入する関係で、日本食はどうしても価格が割高になってしまう。マレーシア近海は南マグロの魚場であるが、当地で陸揚げされることはなく、東京から冷凍マグロが空輸されてきた。

ほとんどの日本食レストランはラストオーダーが21時だったので、仕事の関係で間に合わないことが多かった。中華レストランは一人だけの食事には不向きなので、帰りが遅いときの夕食は自炊か屋台ということになる。

KLにはあちこちに大きな屋台村があって、24時間食事に困ることはない。夜中でも客足が絶えることはなく、これは多くの企業が交代勤務制をとっているからだと思われる。確率的には低いが、冷蔵庫を持たない屋台での食事には、食中毒のリスクがある。危ないのは焼きそばなどに入れる魚介類で、傷んだ貝や海老はいくら火を通しても毒が抜けることはない。

市内にはこうした犠牲者のための24時間クリニックが多数あり、腹をかかえて駆け込む患者が後を絶たなかった。

KL中央卸売市場は、北東方向の市外にある。もともと人口が少ないので規模としては大きくないが、熱帯の国だけあって鮮魚など食材の種類は実に豊富である。市場では誰でも購入することができたが、売買の単位量が大きいので一般向きではない。いちど長靴を履いて車海老を買いに行ったことがあるが、自宅冷蔵庫が満杯になるほどの量になってしまった。

 

 

 

 

露天商は中央卸売市場で商品を仕入れ、市内の露天市場で売さばいている。KL南部のPudo Market、北部のChowkit Marketなどが規模の大きい有名なマーケットだ。

 

マレーシアの伝統的な料理は、南国らしい香辛料の効いた香り豊かなものである。赴任している間、毎日昼食には会社の食堂でマレー料理を食べた。しかし、請負業者の人手不足から食堂の従業員はインドネシア系の調理人が多く、会社の現地スタッフからインドネシア味の料理だと不満がでたこともあった。

KL市内には、マレーシアの伝統舞踊を見ながら食事が楽しめるレストランが何軒かあった。日本から出張者が来た時などは、こうした場所へ案内して夕食を共にした。マレーシアの舞踊は、農耕民族らしくしなやかで温かな感じがする動きである。

 

 

KLは国際色豊かな都市で、世界中の料理を味わうことができる。今まで多くの国を訪れて、それぞれご自慢の地場料理を楽しんできたが、KLで食べるアジア系料理や欧州系料理の味は、本場と比べて少しもひけをとるものではない。

なかでも最高なのは、中華料理である。マレーシアの中華料理は、中国本土の広東省・広州市で食べる本場の広東料理よりも美味である。トムヤンクンに代表されるタイ料理やマレーシアの中華料理など、東南アジアの料理はどれも香辛料がよく効いていてほんとうに美味しいと思う。

 

 

マレーシアの中華料理が美味しいのは、新鮮で豊富な魚介類、一年中収穫できる野菜、香辛料やハーブなど食材の点で中国本土よりも有利だということもあるが、いちばんの理由は料理人の腕が優れているからだと思う。

東南アジアの華人たちは、数世代前に中国本土から野心に燃えて海を渡ってきた。見知らぬ土地での商売で競争に勝ち抜いて財をなすには、優れた商品を提供するしかない。新天地で屋台から出発した華人たちは、誰にも負けないように料理の腕を磨いたのだろう。

門構えが立派な中華レストランの料理はそれなりに美味しいが、屋台の中華料理でもそれほど味が劣ることはない。KLの華人たちは、安くて美味しい店をよく知っている。エアコンのないオープンハウスの中華料理店前に、メルセデスベンツが何台も停まっている光景は珍しくない。

中華料理を注文するには、ある程度の経験と知識が必要である。日本のようにメニューを見て料理を注文することはできないからだ。例えば魚料理の場合ならば、魚の種類と調理法の指定が必要である。魚の種類を店にまかせてしまうと、活きの悪いものや価格の高いものが出てくる可能性がある。

魚種で無難なのは、安くて美味しいSea buss(スズキ)である。調理法としては、steamed fish(蒸す)、fried fish(揚げる)、barbecued fish(焼く)などがある。私が好きなのは、じっくり揚げた魚にアンカケを乗せたものだ。これを注文するには、deep fried fish with sweet sour sauce となる。

マレーシアの中華料理店に入ると、グリーンチリを小さく刻んで甘酢に漬けたものが「お通し」として出てくる。慣れない日本人には辛すぎるかもしれないが、南国の中華料理には欠かすことのできない絶妙な味わいがある。

中華料理に合うのは、やはり人肌に温めた紹興酒である。しかし、紹興酒を正規のメニューとして置いていない店が少なくなかった。そんな時には、調理場で使っているChinese Red Wine をくれと言えば、たいていは出てきた。マレーシアはイスラム国家であることから、ビール以外は酒税が高い。しかし、紹興酒は調理材料として中国から輸入されていたため、酒税がかからず安価だった。

 

マレーシアは治安が良く、KL市内には夜間一人で歩いて危険な場所はほとんどないが、Chowkit地区の裏通りだけは例外だった。この一帯には密入国した外国人が多く居て、いかがわしい商売やスリが横行していた。スリと言っても技術的に幼稚なため、ズボンのポケットに手を入れるのがすぐにわかる。たいてい4~5人の仲間で標的の前後左右を取り囲み、後ろ側の一人が標的の背中を押しながらポケットに手を入れるのだ。

東南アジアに限らず、世界中どこのスリも真っ先に狙うのはズボンの尻ポケットである。ポケットの膨らみ具合から金品の存在が容易に分るのと、すり取るのに高度な技術を必要としないからだ。こうした手口を防ぐには、ズボンのポケットには絶対に貴重品を入れないことである。

女性の場合には、ネックレスが狙われる。屋台で品定めする時など、前かがみになった時が危ない。後ろから、ネックレスをハサミで切られてしまうのである。東南アジアでは純金ネックレスをしている女性が多いことから、このような手口が発達したものと思われる。人ごみの中へ行く時には、ネックレスを外すに限る。

KLで犯罪被害にあう日本人に、ある特徴が見出された。彼らの多くは「地球の歩き方」という観光案内を手に持って歩いていたのである。この事実はKL日本大使館から出版元に連絡され、以後は本に注意書きの綴じ込みが入ったと聞いた。

KL近郊には熱帯の森が広がっていて、山道に入ればうるさいほどセミが鳴き、路上に猿の群れを見かけることも珍しくない。日本では見られない蝶や熱帯植物など、豊かな自然と触れ合うことができる。

しかし、KL市内では様相が一変する。熱帯でありながら、蝶もセミも居ないのである。これは、デング熱などマラリヤ系の病原菌を運ぶ蚊を駆除するために、消毒薬を徹底的に散布しているからだ。ある日、体調が悪くて会社を休んだときに窓から見えたのだが、大型タンクローリーが市内を巡回し、タンクの上部と下部から同時に強烈な消毒薬を道路端に吹きかけて行った。

水道水も濃い塩素で消毒されていて、顔を洗うと目が痛くなるほどだが、病原菌は含まれていないので、そのまま飲んでも病気にはならない。人間にとって安全な文化都市を目指せば、自然に対してそれなりの副作用を覚悟しなければならないということなのだろう。

 

当時のKL国際空港は、市内から車で30分ほどのSubangにあった。日本から出張者などが来るたびに、Subang空港へ送迎したものだ。どこの空港でもそうだが、2階の出発ロビーには旅立ちと別れの緊張感が漂っており、1階の到着ロビーには無事に着いた安堵感と再会の喜びが溢れている。

マレーシアの経済発展に伴ってSubang空港が手狭になったため、1998年からはKLの南50kmに新しく建設されたSepang国際空港(KLIA)がKLの空の玄関口となった。広大なジャングルを切り開いて作られた、アジア最大の国際空港である。到着ロビーから一歩外へ出ると熱気に包まれるSubang空港と違って、爽やかで広い空港である。日本企業の多いKL南方のBangiやNilaiなどの工業団地は空港から近くなったが、KL市内のホテルまでは2時間近くを要することになった。

 

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